sukimaki animation logo

sukimaki twitter sukimaki instagram

March 11, 2021

「スキマキペット抄」(『バナナ裁判』より)

バナナ際斬, クマの自転車

 

人は生涯で、いったい何匹の動物と生活を共にするのだろうか?  私は皆が狂喜するほど、動物園のパンダに興奮したり、水族館のイルカに見惚れたりはしない。  私の彼は、「イルカは知能が高すぎて、集団レイプをする生き物だ」と言う。  一方イルカは、雌や権力を巡って、争ったり仲間を殺したりはしない、という。  これらは別に驚くべきことではなく、「イルカであればそれぐらいのことはしそうだ」と私は高を括っている。

 

  

私が最初に飼っていたペットはザリガニである。  天気の良い放課後や週末は、いつも決まって友人たちとザリガニ釣りに出掛けた。  ザリガニがもっとも食いつきのいい餌はザリガニである。  ザリガニは共喰いをする。  小さいザリガニで大きいザリガニを釣る。  その大きなザリガニで、さらに大きなザリガニを釣る。  門限を忘れてそれを繰り返す。  でも一番可愛がっていたのは、小指ほどの小さなザリガニである。  水槽を清掃するために外に出した小指ザリガニを、誤って踏みつけてしまい、はらわたが飛び出してしまった時、ジャクリーン・ケネディがジョン・F・ケネディの脳みそを拾おうとしたように、なんとかはらわたを詰め込もうとしたが、生きたまま死んでいるそれはどうしようもなく、安楽死を選んだ私は、まだ微かに動いているザリガニを、土へと埋めた。

 

今思い返すと、私は十代になる頃まで、不思議なことに、ペットに名前を付けていなかった。

 

私は落ち込んだり悲しいことがあると、子別れで知られる近くの史跡公園で過ごす。  そこには大きな木があって、私はそれを「もしもしの木」、と呼んでいる。  その木の下に眠るジャンガリアンハムスターは、風邪をひいて一年半で死んでしまった。  人は動物と暮らすとき、子供に先立たれる親の気持ちを疑似体験することになる。  神様は生きるものに等しく、同じ回数の鼓動を与えているのに、鼓動の早さが異なる私たちは、人が決めた物理的時間で計ると、寿命の長さが異なってしまう。  人の平均寿命は、下手すると中級のクジラより長い。  もしもしと名付けたハムスターは、しばしば夢の中で、ありえない大きさで登場し、私はそのもじゃもじゃとした彼のお腹に包まれて、眠る夢を見る。  もう空を飛ぶ夢を見なくなった私にとって、それが最高級の夢となった。

 

違う夢の中で、近所の野良猫が、二足歩行で歩く。  それは猫の願望なのか? 私の願望なのか?  夢はいつしか言葉を失っていた。  野良猫は私のそばまで来ると、ゆさゆさと私を揺すって起こした後、二本の足で歩くことが如何に困難であるかを物語るかのように、本棚に掴まり立ちをし、一休みしている。  四角で出会った時にこの夢の話をすると、その野良猫は少し、笑った気がした。  春が過ぎて、空梅雨だったせいか、あの夏は大変な水不足だった。  私を揺すって起こした野良猫は、もういない。

 

バナナ裁判スタンプ