April 5, 2021
クエスチョン
2014年の冬。実家の近所でクエスチョンと出会った。クエスチョンは捨て猫で、引っ越しで置いていかれたらしい。家猫だったからなのか家から離れることができず、同じ場所に留まっていた。クエスチョンは出会った時からとても人懐っこかった。捨てられたこと以外は、人間に酷いことをされたことがなかったのだと思う。
同居人の松村さんを説得し、車で家に連れて帰った。安心できる場所から突然引き離されたため、車中では私の腕の中で爪を立てて小さく震えて鳴いていた。団地の5階にある我が家に着くと、家中を散策しそこら中の匂いを嗅いだ後、私の側に寝転び毛繕いを始めた。私は猫を連れてきたことに少し興奮していて、ドキドキしながら猫の行動を観察していた。夜、私が布団に入ると猫は布団の周りを2回周り、ニャアと鳴いた。布団を少し持ち上げるとスルリと入ってきて、私のお腹のあたりで丸くなりゴロゴロと喉を鳴らした。あまりの可愛らしさに何かいけないことをしているような気持ちになった。
松村さんはかぎしっぽのその猫に「クエスチョン」という名前をつけた。
我が家での暮らしにすっかり慣れたクエスチョンだが、時々窓の外をじっと見ている。その後ろ姿を見るたびに、切ない気持ちになり、連れてきて良かったのだろうかという思いが湧いてくる。捨て猫は可哀想というのは人間目線の価値観で、寿命は短くとも自由を満喫できる方が良かったのでは、、、と思ってしまう。狭い団地の5階に閉じ込められ、大好きな土にも触れず、死ぬときに身を隠すこともできない。私のエゴでクエスチョンを連れてきてしまったことを申し訳ないと思う一方で、クエスチョンの鳴らす喉の音を聞くたびに必要とされる嬉びを感じている。